言葉の受け取り方 悪意の受け取り方 20210612

日記

こんにちは。えみゅーです。

突然ですが、言葉って難しいですよね。

自分が善意で放った言葉が、相手の心を傷つけてしまったり、

その逆もまたあったり。

相手の悪意をモロ浴びてしまったり。

実は今日まさに、そんなことがありまして、心を乱されてしまったので

いつも大切にしている考え方を振り返ってみます。

悪意、悪口を”受け取らない”という選択

ブッダのエピソードにこんなものがあります。

ある日、仏教のことをよく思っていない青年がブッダの前に現れます。

そしてその青年はブッダに罵詈雑言を浴びせます。

ブッダはそれを静かに聞いています。

青年がどれだけ怒鳴っても、汚い言葉で罵っても、ブッダはただ静かに聞いています。

青年が疲れ果てて、罵るのをやめたとき、ブッダはゆっくりと口を開きます。

「差し出した贈り物を相手が受け取らなかったとき、その贈り物はどうなりますか?」

『受け取ってもらえなかったのだから、差出人が持って帰るしかなかろう』

「私はさきほどのあなたの罵りをどれも受け取りません。あなたが言ったことは全てあなたが受け取ることになるのですよ」

うろ覚えですが、こんな感じです。

私はこのお話を知って

その言葉を受け取るか、受け取らないかの”選択権”は自分にあるんだ

ということに気づきました。

耳が痛いけど聞かなきゃいけない言葉というのも、もちろんあります。

聞く・聞かない、受け取る・受け取らないの選択をした責任を自分で負う覚悟があるなら、

自分で決めていいんです。

まだまだ修行不足なので、受け取らなくていい言葉を受け取ってしまうこともあるのですが、

その後、「これはいらない言葉だなあ」と思ったら手放すようにしています。

いらない言葉を捨てるだけで、心がとても軽くなります。

今日浴びせられた嫌な言葉も、一度は受け取ってしまって

心がもやもやしてしまったのですが、

手放してしまえば「しらんしらーん!ばいばーい!」と晴れやかです。

相手にも同じ決定権がある

先ほど、「受け取るか受け取らないかの選択権は自分にある」とお話ししましたが、

それは相手にとっても同じです。

自分が放った言葉を、相手がどう受け取るか、そもそも受け取らないままでいるか、

選ぶのは相手です。

いくら自分が相手に対して「喜んでほしいな」「力になったらいいな」と思って放った言葉でも

どうするかは相手次第。相手に決定権があるんです。

それはもう、自分にはどうしようもない世界の話です。

褒めたんだから喜ぶべきだ!とかアドバイスしたんだから従うべきだ!とか

こちらの期待に相手が応える保証もなければ義務もないんです。

放った言葉の主導権を手放すこと。

「じゃあ考えても仕方ないよね」って開き直って、楽になりましょう。

折角の人生、楽しんで生きるために

聞いた話ですが、人生は一度きりだそうです。

この人生を生きられるのは一度きり。

なら、必要なものを手にするためにも、

いらないものは手離して、

ラクに、楽しく、期待はしても執着はせず、生きていきたいですね。

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